だらだらゴロゴロと京都で日帰り湯治を体験。/北白川不動温泉
【京都府:北白川不動温泉】
あなたは猫派?犬派?みたいな感じに、
あなたは金閣寺派?銀閣寺派?
なんていうのも、ありですよね。
それで性格がわかっちゃう、みたいな。
さて、そんな銀閣寺周辺からのひな研レポです。
京都っていうと、世界的な観光地でもあるわけなので、
そんな街に、時代に取り残されたようなひなびた温泉なんかあるの?って
感じなんだけど、そうなんです、意外にも京都にだって、
ひなびた温泉があったんですねえ。
北白川不動温泉は比叡山の麓にあるラジウム温泉である。
京都のはじっこ。東山文化の象徴たる銀閣寺を抱くようにある比叡山を越えれば、
琵琶湖がおだやかな海のようにひろがっている、と。そんなロケーションだ。
銀閣寺から北白川 不動温泉までは距離にして約3.5キロほど。
登り坂で3.5キロは、ほどよい運動量で、温泉にはいるのにちょうどいいかもしれない。
でも、他の街ならいざ知らず、せっかくの京都なわけで、
もうちょっとよくばりたいなあ、ということで、
若王子神社を起点に、哲学の道をあるいて法然院、銀閣寺、そして温泉という
約5キロの道のりを歩くことにした。
そんなわけで、まずは京都駅近くの
老舗京都ラーメンの店「本家 第一旭 たかばし本店」で、腹ごしらえ。
このお店、早朝6時ぐらいでも行列ができている地元の人気店なのである。
ちょっと甘めの醤油ベースのスープ。ネギはもちろん九条ネギ。
バラ肉のチャーシューと脂が浮いたラーメンはこってりって感じだけど、
実は見た目を裏切るあっさり味、そして昭和な味のラーメンで、
なるほど、これなら“朝ラー”もありだなあ、と納得できるうまうまのラーメンなのだ。
哲学の道は南禅寺近くの熊野若王子神社あたりからはじまる。
そのいわれは、日本が誇る哲学者、西田幾多郎がこの道を思索しながら
歩いていたことから、そう呼ばれるようになった。
歩きながら哲学することは、実は古代ギリシャのアリストテレスの時代からあって、
逍遥学派って呼ばれていた。そう、机の上なんかで考えるよりも、歩きながら考えるほうが
脳が活性化されるし、いろんな刺激が入ってきて思索にむいているのだ。
昔の人はそれをカラダで知っていた。
たしかに、この哲学の道は、実に思索にちょうどいい距離だったりもする。
哲学の道をしばらくいくと、法然院がある。その名の通り法然ゆかりの寺だ。
法然院といえば、まずは茅葺きの門だろう。
念仏をとなえれば往生すると庶民に唱え続けた法然にふさわしく、
仰々しくなくつつましい門。法然院は谷崎潤一郎がもっとも愛した寺でもある。
法然院から銀閣寺へと向かう道で、おもしろいものを発見してしまった。
壁に鳥居マークといえば「立ちシ○ン禁止」のマークなわけで、
子どものころはよく見かけたものだったけど、最近ではすっかり見かけない。
ところが、京都にはあったんですねえ。
しかもリアルな立体である。これは畏れ多くて、
とてもとても立ちシ○ンなんかできませぬ。さすがは京都だ。
銀閣寺の見どころといえば、まさにキンキラキンに輝く金閣寺の対極というべく
渋くわびさびた銀閣。そして、ここでしか見ることのできない銀沙灘(ぎんしゃだん)だろう。
かつて、あの岡本太郎も大絶賛した、この銀沙灘は、
月の光を反射して本堂を照らすための装置といわれている。
なるほど…満月の夜には、この銀沙灘の白砂が青白い月の光をうけて
銀色に輝くのだろうか。そんな光景を思い浮かべると、
銀閣寺のプロデューサーである足利義政のたぐいまれな美意識に驚かざるをえない。
う~ん、やっぱ、金閣より銀閣のほうが渋くてかっこいいぜ。
銀閣寺の余韻を感じながら、いよいよ北白川不動温泉へと向かう。
3.5キロの登り坂をえっちら歩く。
今では車が行き交う志賀越道という名の舗装道だけど、
古くから京と近江をむすぶ道として重要な道だった。
かつてはこの道を歩く近江商人が山賊に襲われるなんてこともあったんだろうなぁ。
…なんてことを考えると、ちょっと感慨深い。
北白川不動温泉はマイナーな温泉でありながら、京都で車に乗っている人なら
誰もがその存在を知っている温泉である。それもそのはず、京都から琵琶湖方面へ
抜ける志賀越道で、赤い幟が何本も立っているこの温泉施設はいやおうなしに目を引く。
だれもが志賀越道沿いの、なんやら赤い幟が何本も立っている、
あの場所として知っているというわけだ。
実際、幟がはためく石段を登っていくと、温泉に入りにいくというよりは、
なんだか神社の本殿へ参拝にいくような感じなのである。
そう、この石段は温泉へも続いているけれど、
石段はさらに、不動明王を祀った不動尊にも続いているのだ。
なんでも今から200年以上前の寛政4年、沙門宗鏡法師が旅人の安全を祈って
不動像を彫ったのがはじまりとされるのだとか。
さて、北白川不動温泉をひと言でいえば、「日帰り湯治場」ということになる。
入浴料は1300円。え?ちょっと高くないかい?って思ってしまうところだけれど、
休憩所に自分用のちゃぶ台と枕と毛布を用意してくれる。
そこでゴロゴロしながら何時間でも一日中いてもOKなのだ。
つまり、この北白川不動温泉は、温泉に一回入って帰るのではなく、
温泉に入って、休憩室で休んで、また温泉に入って、また休憩室で休んでと、
半日や、一日、そんなふうにだらだらと過ごす温泉なのである。
たしかに北白川不動温泉は「ラジウム含有量関西一」とうたっているだけあって、
とても効く感じだ。長くつかると湯あたりしそうな“濃い温泉”だった。
湯船は3、4人でいっぱいになるくらいのこじんまりとした湯船。
でも、みんな長湯はしない。新しい人が入ってくると、誰かが出ていく。
まるでところてんみたいに誰かが入ると誰かが出ていく。
で、そんなふうに出ていった人たちは温泉でふにゃふにゃになりながら、
休憩所で「ふぅ~」とか「あぁ~」とかいって、
実に気持ちよさそうにゴロゴロだらだらするのである。
そう、それこそが北白川不動温泉の正しい過ごしかたなわけなんだなあと。
自分用のちゃぶ台があって、枕があって、毛布も借りれてと、
その意味が、一回湯船につかればよくわかる。
濃い温泉につかった身体がもとめることは、ただひとつ。ゴロゴロだらだらすること。
休憩室にはテレビはある、雑誌やマンガもある。酒もある。つまみもある。
そんなわけで、ぼくは唐揚げと瓶ビールをたのみました。
「揚げるまで時間かかるけどいい?」と女将さん。
おお!揚げたての唐揚げなんだ!と、感激するぼく。
で、しばらくして揚げたて唐揚げと冷えたキリンラガーの瓶ビールがきた。
最高!いうことなし!なるほど、こんな感じで一日だらだらと過ごすのは実にいいなぁ。
ココロもカラダもふにゃふにゃになりながら、思った。
京都は日本の歴史がミルフィーユみたいにいく層もかさなっている他に類を見ない古都。
だからバスや電車は極力使わずに、できるだけ自分の足でじっくり歩きたい。
欲張ってあっちこっちいくのではなくって、東山なら東山だけ。嵯峨野なら嵯峨野だけと、
自分の足で歩けるエリアをじっくりとゆっくりと楽しんで、
最後は半日、この北白川不動温泉でふにゃふにゃになって、ごろごろだらだらと過ごす。
これぞ、京都の至福の大人旅ではあるまいか。
なによりも京都の旅には歴史の余韻を味わうことが必要なのだ。
だから、ここ、北白川不動温泉でふにゃふにゃになりながら余韻を味わう。
実にいいじゃないか。
今回はもう帰らなくてはいけないけれど、次に京都にくるときはそうしよう。
うん、そうしよう、そうしようと思いながら、夕暮れの祇園を歩いた。
北白川不動温泉:http://fudouonsen.com/
記事:ショチョー
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お疲れさまです。
流石、ショチョー。
ナイスでイカしたナウいレポートです。
チョベリバグーです!
千年の都京都にも「昭和」は息づいておりますね。