金湯館の伝説のおにぎり弁当を食べる/霧積温泉・金湯館
【群馬県:霧積温泉/金湯館】
霧積温泉は群馬県と長野県の境目あたりの山あいの温泉郷。
かつては、あの勝海舟も伊藤博文も明治天皇も幸田露伴も与謝野晶子も
訪れたという、ハイソでメジャーな温泉郷だったのだけど、
明治時代の後期に軽井沢が避暑地として開発されてからというもの、人気は奪われ、
さらには台風による水害で壊滅的な被害をうけて、
ほとんどの宿が流されてしまい、金湯館が1軒残るのみ。
今では,まさに山の秘湯という言い方がぴったりな温泉なのである。
で、この金湯館の湯が知る人ぞ知るぬる湯の名湯なのである。
39℃から40℃の湯。ざぶんと浸かったとき、ちょっと物足りないぐらいの湯の温度。
でも、だからこそ長い時間つかっていられる。
つかっていると身体中にびっしりと気泡がつく。いい湯の証しだ。
かつての金湯館の湯治客は、そんなぬる湯の湯船に将棋盤をぷかぷかと浮かせて、
のんびりと将棋をさしながら40分ぐらいも湯につかっていたそうなのだ。
ぬるい温泉もまたいいものだ。
温泉好きの嵐山光三郎センセーだって、おっしゃっている。
温泉てのは、ぬる~い人肌の湯につかり、トロトロトローッとして、
眠くなるときがいい。なんというか、湯の酩酊状態だね。
湯とか軀が一体となり、自分なのか湯なのか
わかんなくなるときが極楽なのです。
…と。
さてさて、今回はそんな金湯館のぬる湯につかりにいったのだけど、
実はもうひとつ目的があった。
伝説のおにぎり弁当を食べてみたかった。
登山者しかやってこないような山あいにある金湯館にも
一時期、全国から人が押し寄せたことがある。それはなぜか?
角川映画の舞台になったからである。
読んでから見るか?見てから読むか?
そんなフレーズとともに角川映画が一世を風靡していた時代を
リアルに知っているのは、40代から60代の人だろう。
テレビCMの大量投入で、映画も原作の小説も同時に大ヒットさせるという、
いわゆる角川書店流のマーケティング戦略。
その代表格というべき「人間の証明」の舞台になったのが金湯館だったのだ。
じゃあ、その「人間の証明」と“おにぎり弁当”がどう関係しているのか?
実は「人間の証明」の作者である森村誠一さんは、
金湯館のおにぎり弁当の包み紙にインスパイアされて「人間の証明」を
執筆したのである。
森村さんが、旅から旅へと明け暮れていた大学生だった頃、
霧積温泉というやさしい名前にひかれて金湯館を訪れた。
わざわざここまで来る人はいるのだろうかと思えるほどの人気のない山奥。
当時は電気も通ってないランプの宿だった。
金湯館に一泊した森村さんは翌朝、おにぎり弁当をつくってもらい、
近くの鼻曲山を登山した。
途中、弁当を食べようと包み紙を開いたときに、
その紙に刷られてあった詩が目にとまった。
後に「人間の証明」で一躍有名になった
「母さん、ぼくのあの帽子どうしたでせうね?~」ではじまる
西条八十(さいじょうやそ)の「麦わら帽子の詩」だった。
山道でおにぎり弁当を開いた森村さんは、
麦わら帽子の詩にあふれる“母性”に感動したという。
雑木林のわずかな陽だまりのなかに身をすくめて食べた心のこもったおにぎりと、
麦わら帽子の詩が冷えきっていた身体を心の底から温めてくれるように感じたのだと。
それからそれから二十年の時が過ぎて、小説家としてデビューした森村さんに
ビッグチャンスが舞い込んできた。大手出版社角川書店が「野生時代」という文芸誌を創刊する。
ついてはそこに小説を書いてくれないだろうかと、角川春樹社長自らが足を運んで
執筆の依頼にきたのである。
推理作家として、まだ海のものとも山のものともわからない自分に
可能性をかけてくれたことに感動した森村さんは、なんとかその期待に応えたいと思った。
そのとき、ふたたび思い出したのが西条八十の詩だった。
鼻曲山の登山道で西条八十の詩に感動した森村さんはその包み紙を大切にとってあった。
あの詩をテーマにして書いてみよう。
そんなふうにして大ヒット作「人間の証明」が生まれたのである。
JR信越本線の横川駅から金湯館の送迎バスで30分。
人里離れたとは、まさにこういうところだよなというような
山あいに、へばりつくように金湯館は建っている。
小説「人間の証明」にも登場する三代目老夫婦と、
いずれ四代目となる若旦那と若女将の4人で経営している。
今では全国から人が押し掛けるというようなことはないけれど、
近くの鼻曲山を登山するハイカーに人気の宿である。
温泉は決して広いとはいえない内湯のみの温泉。
湯は前述したようにぬる湯。山の中である周囲の静かな環境も手伝って、
だらりと長湯するのが、とても心地いい。
夕食の料理も山宿らしく山菜の天ぷら、豚汁、川魚といったもので、
特別なものはないけど、土地の味と心がこもった手づくりのおもてなし料理だ。
次から次へとでてくるような辟易とする料理と違って、
酒を味わいながら楽しめるちょうどいい量である。こういうのがいいんだよね。
宿を発つ翌朝は、あのおにぎり弁当を女将さんににぎってもらった。
もちろん、包み紙は、森村さんを感動させた、あの包み紙だ。
それをリュックにつめて鼻曲山に登った。
鼻曲山は、日本百名山とまではいかないけれど信州百名山のひとつ。
山道の途中で雄大な浅間山を望みながら登山を楽しめるところがこの山のすばらしいところだ。
頂上に登ったところでおにぎり弁当をいただく。
海苔と金胡麻のおおきな丸いおにぎりが入っていた。
漬け物と小魚の佃煮が添えられてあったのが、ちょっとうれしい。
鼻曲山の頂上で、女将さんがにぎってくれたおにぎりをほおばりながら
包み紙の麦わら帽子の詩を読んでみた。
詩には母親と訪れた霧積で風に飛ばされてしまった麦わら帽子のことがつづられている。
そこに母親が登場するわけでもない。
それでもこの詩を読んでいると、母にやさしく見守られているかのような
不思議な安堵感が感じられる。
森村さんがいう「心の底から温めてくれるような感じ」がわかったような気がした。
記事:ショチョー
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